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津軽三味線の吉田良一郎の呼びかけにより、尺八の元永 拓、太鼓・鳴り物の美鵬直三朗と2008年に始めた新・純邦楽ユニット「WASABI」は、2010年に箏・十七絃の市川 慎を迎えて本格的に活動を開始。主体だった学校公演に加え、一般公演、舞台音楽制作など、さまざまなステージを展開してきた。
邦楽と呼ばれる和楽器を使った音楽にもさまざまなジャンルがあるが、実はそれぞれの奏者の交流はあまりない。WASABIのメンバーで例えるなら、津軽三味線の吉田と太鼓・鳴り物の美鵬が土台としている民謡と、尺八の元永と箏の市川が長らく親しんできた古典では、活動の場が違う。津軽三味線、尺八、箏・十七絃、太鼓・鳴り物、この4種の奏者のユニットは前代未聞といわれる由縁だ。だから演奏活動を行うにはオリジナル曲が欠かせない。

オリジナル曲は、セッションとディスカッションを重ねながら完成度を高めている。メンバーそれぞれ、自作曲であっても自分の楽器を前面に押し出すわけではない。
「四つの個性がぶつかり合う面白さが重要。でも、ときには自分が入らなくても曲が成り立っているなら、それでもいいかなと思うこともある」(市川)。
「バンドとしてよく聞かせるためにはどうしたらいいか?という視点が強くなってきた。4人それぞれの良さを出していくようにしたい」(元永)。


自分が聴かせたいものと、他の人が聴きたいものが違うこともある。だから、
「あえて自分のアイデアは出さずに、メンバーが求めるものをそのままやってみることもある。そうすることで、新しいことが見えてくる。WASABIは自分の表現の幅を広げてくれる場所だから」(美鵬)。

2012年には、デビューアルバム『WASABI』を発表。そこでは、邦楽ならではの優雅さにバンドならではのグルーヴ感が加わることで、他に比べることのできない斬新なサウンドが生まれていた。高い演奏技術と和楽器の響きを活かした楽曲は、邦楽だけでなく、プログレッシブ・ロックやクラシックといった、さまざまな音楽ファンに受け入れてもらうことができた。







WASABIがめざす音楽は、「聞き手に楽しんでもらう」ことだ。
「今までにない新しい音楽にチャレンジしているからといって、それが難解すぎて人の気持ちを惹きつけられなければ、自己満足でしかない」(吉田)。
そのために、J-POPによく見られるようなリフレイン形式を用いたり、メロディの展開をわかりやすく提示したりと、多くの人に馴染みやすい構成でオリジナル曲を作る。また、1曲が5分前後と短いのも特徴の一つである。これらは、邦楽を普段聴くことのない現代の人々に、自分たちの奏でる音色を受け入れてもらうための工夫である。
では、WASABIの音楽のどこが邦楽なのかと疑問に持つ人もいるかもしれない。実際に紐解いてみると、そこには伝統的な演奏手法や、民謡や古典などで使われてきた音階やフレーズ、リズムが多様に取り入れられていることがわかる。

2014年秋、2年ぶりのアルバム『WASABI 2』を発表する。ファーストアルバムの良さを引き継ぎつつ、さらに結束したバンドアンサンブルを構築することができた。今作には8曲のオリジナル曲を収録したが、候補は30曲にも上がった。前作から2年間の間の精力的な活動で、互いの楽器やプレイスタイルへの理解がさらに増した。
「僕は後から入ったので最初は様子見だった。でも、みんなのことがわかってきて、最近は思ったことはすぐ言う(笑)」(市川)
余裕が出てきたことで、いろんなことを試せるようにもなっている。
ファーストアルバムでは、自分たちが扱う楽器のルーツが持つメロディや音楽語法を最大限に活用していた。しかし、セカンドアルバムではそこに執着するのではなく、自分たちから出てくる自然なメロディを活かすことにした。
「あえてメロディを“和”にしなくても、僕たちの使う楽器の音色自体が日本の音楽である」(元永)。
それぞれ長く和楽器に取り組んできたからこそ、オリジナル曲を作っても自然と“和”は入り込んでくる。
「古典といわれている曲も、本来は奏者のセッションから生まれたもので、各時代に合ったものが作られてきた。その要素を使いながら僕たちが曲作りをすれば、自然と現代の新しい邦楽曲が生まれると思う」(市川)。







WASABIのコンサートへ足を運ぶと、他の邦楽公演では見られない光景に出合う。ステージとのコール・アンド・レスポンスがあり、手拍子が起こる。客席が鑑賞ではなくて、音楽を体感して、楽しもうとしているのがわかる。
「お客さんが緑色のペンライトを持ってきてリズム合わせてふってくれたり、わさび味のお菓子を差し入れしてくれたり(笑)。僕たちの“WASABI”を使って遊んでくれているのがすごくうれしい」(美鵬)。

数々のステージを展開し、アルバムを発表、自分たちの音楽への自信を高めてきたが、それが決定的となったのが、2013年秋から2014年初めにかけてのアジアとヨーロッパのツアーだった。日本のオーディエンスに勝る熱い反応に驚くと同時に、
「僕たちのやりたい音楽はこれだ!というのが証明された」(吉田)
「海外の人の方が、楽器に対する先入観がないし、興味本位であることを隠さない。フランクに音楽に接してくれる」(美鵬)。
「古典を演奏すると、どうしてもクラシックのような鑑賞会になってしまう。WASABIの場合は気軽に聴いてくれているし、良いと思えば自然と盛り上がってくれる」(市川)。
「どこへいっても通じる音楽」への確信を経て、言葉を必要としない、インストゥルメントである強みを活かして、さらに多くの人と音楽を共有したいと思うようになる。

同時にやはり気がかりなのは、日本における和楽器の認知度である。和楽器のことをどれだけの人たちが知っているのだろうか。邦楽を聞いたことがない、まして和楽器にさわったこともない、そんな人たちが増えていることに、“和楽器の未来”への危機感を覚える。最近では、「“WASABIに入りたいです”と言ってくれる若い奏者がいて、とてもうれしい」(吉田)。
自分たちのチャレンジは、和楽器に興味を持つ人やすでに取り組んでいる人のモチベーションとなる存在にもなり始めている。

WASABIが新しい邦楽の姿を提示するのは、和楽器が奏でる音楽を楽しみたいという奏者や聞き手を増やすのが、自分たちの役割だと考えるからだ。だからこそ
「“和楽器だからできない”という意識は取っ払いたい」(美鵬)。
一方で、道を拓くフロントランナーにはプレッシャーがつきものだ。経験を積み重ねると、新しい一歩を踏み出すことは難しくなる。それでも、
「迷ったときに“やってみようよ”とメンバーの一人が必ず言う。その一言にすごく助けられる」(吉田)。
「古典も好きだし、新しい曲ももっと作りたい。これまでの歴史を受け継ぎ、また歴史を作ってそれを次に受け渡す。そういう邦楽の歴史を作る一人になりたい」(市川)。
今の時代にあった新しい邦楽の可能性を求めて、歩みをとめる暇はないと感じている。




YOSHIDA RYOICHIRO
吉田 良一郎
 
北海道出身
父の勧めにより5歳から三味線を始め、1990年 津軽三味線奏者 初代佐々木孝氏に師事。
津軽三味線の全国大会で頭角を現し、1999年 弟の健一と「吉田兄弟」としてデビュー。
現在まで13枚のアルバム他を発表し、日本全国で公演を展開している。
2003年の全米デビュー以降、日本の伝統芸能の枠を超えて、世界各国での活動や、国内外問わず様々なアーティストとのコラボレーションも積極的に行なっている。
またソロプロジェクトとして、より多くの人、特に次代を担う若い世代に『和』の魅力を知ってもらいたいと「WASABI」を結成。
MOTONAGA HIROMU
元永 拓
 
山口県出身
幼少の頃より台湾、シンガポールで9年間過ごす。長い海外生活の中で自然に生まれた日本文化に対する深い興味から上智大学入学と同時に尺八を始め大橋伶晴氏・菅原久仁義氏に師事。1999年より本格的に演奏家活動を開始し、和楽器・洋楽器・モダンアートとのコラボレーション、和楽器オーケストラ「むつのを」、尺八トリオ「般若帝國」などで活躍。
NPO法人「日本音楽集団」では運営委員長を務める。
アジア・アメリカ・ヨーロッパ・オセアニアなど約25ヶ国で海外公演も多数行なっている。
ICHIKAWA SHIN
市川 慎
 
秋田県出身
秋田県生田流箏曲「清絃会」三代目家元 足達清賀の息子として生まれる。
中学よりギターに惹かれバンド活動を始めるが、テレビで箏の現代的な演奏を観て
「箏もギターも同じ弦楽器」と目覚め、修行の為上京。沢井比河流氏・沢井一恵氏に師事。
その後、1年半でリサイタルの開催や数々のコンクールなどで受賞(文部科学大臣奨励賞、秋田県芸術選奨他)を重ね、若手演奏家の中で注目すべき存在となる。
現在、和楽器ユニット「ZAN」他のメンバーとしても活動。「清絃会」副会長を務める。
BIHOU NAOSABUROU
美鵬 直三朗
 
東京出身
幼少より祖父 美鵬流囃子方家元 美鵬駒三朗に鳴り物の手ほどきを受ける。
国内の舞台以外では中国・タイ・ベトナム・モルディブ・スリランカなど海外での公演や
民謡・古典現代音楽・J-POP・学校教材・TVサウンドトラック他、数々のレコーディングに参加し幅広い活動を行なっている。
ただ太鼓を「叩く」というだけでなく、美鵬流独自の構えの美しさ、太鼓に向かう気持ちを大切に演奏すること、旧くから踏襲されていることを基本とし現在に活かすことを心情としている。